「夏休みの宿題」ナシは、大人が子供以上に主体性を身につけることかもしれない
大都会の小学校の「夏休みの宿題」がナシ!
というニュースを読んだ。
いつから「夏休みの宿題」があるようになったのか知らないが、
大昔、自分が小学生の時は当たり前のように、たくさんあった。
自由研究も読書感想文も、プリント類もた~くさん。
朝はラジオ体操に行き、カードにハンコをもらうのが、
小学生の夏休みだった。
自由研究は、泣く泣くやっていた年もあったなぁ。
その頃に、「夏休みの宿題」がなかったら、
どのように過ごしていただろう?って思う。
今、社会全体がずいぶん変わってきたように感じている。
少しずつ、大人も子供も主体性を大事にするように、
なってきている気がする。
また、先生の労働環境も変わろうとしている。
「夏休み宿題ナシ」で問題となっているのは、
学びの格差が大きくなるのではと、
言われていること。
昔のテストの高得点をとるという学びであれば、
おそらく出てくるだろう。
しかし「学び」って何?
「夏休みの宿題ナシ」は、どの時期から実践するのかとか、
それまでの低年齢の間にどういう経験をしておくのか、
そういったことも大事だろう。
でも個人的に一番大事だと思うのは、先生や親や生徒だけじゃなく、
世の中の大人がどう行動したり、どう接したり、どう話したり、
どういう姿勢で物事に向き合うのか、だと思う。
小学生の子どもがいないから関係ないということは、ない。
普段の生活の中で、
例えばスーパーなどで店員と客がどういう会話するのか、
子どもたちは、何気に大人の姿を観察している。
大人の姿勢は、知らず知らずのうちに、
子どもたちに影響を与えるのではないだろうか。
間接的であっても、そういったことが、
主体性を育てることにつながっているように思う。
言うのは簡単。
自分が出来ているかと言えば、全然ダメ。
残りの7月、8月、ちょっと意識して過ごしてみようと思った、
いいニュースだった。
音楽は、
TUBEの「あー夏休み」♪
夏休みは、宿題があった昔でも、うれしかった!